【緒 言】 
 
現代日本と思想問題 
我が國は、今や國運頗る盛んに、海外發展のいきほひ著しく、前途彌々多望な時に際會してゐる。産業は隆盛に、國防は威力を加へ、生活は豐富となり、文化の發展は諸方面に著しいものがある。 
 
夙に支那・印度に由來する東洋文化は、我が國に輸入せられて、惟神の國體に醇化せられ、更に明治・大正以來、歐米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顯著な發達を遂げた。
 
文物・制度の整備せる、學術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、萬葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民《みたみ》《われ》生ける驗《しるし》あり天地《あまつち》の榮ゆる時にあへらく《も》ば」と謳ふであろう。明治維新の鴻業により、舊來《きゅうらい》陋習《ろうしゅう》を破り、封建的束縛を去つて、國民はよくその志を遂げ、その分を《つ》し、爾來七十年、以て今日の盛時を見るに至つた。
 
併しながらこの盛時は、靜かにこれを省みるに、實に安穩平靜のそれに非ずして、内に外に波瀾萬丈、發展の前途に幾多の困難を藏し、隆盛の内面に混亂をつつんでゐる。
 
即ち國體の本義は、動もすれば透徹せず、學問・敎育・政治・經濟その他國民生活の各方面に幾多の缺陷を存し、伸びんとする力と混亂の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕《くんいう》を併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。
 
今や我が國は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで發展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の眞相を把握し、據つて進むべき道を明かにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、彌々國運の伸展に貢獻するところがなければならぬ。
 
現今我が國の思想上・社會上の諸弊は、明治以降餘りにも急激に多種多樣な歐米の文物・制度・學術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に《はし》、嚴正な批判を缺き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が國に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以來の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。
 
これらの思想の根柢をなす世界觀・人生觀は、歴史的考察を缺いた合理主義であり、實證主義であり、一面に於て個人に至高の價値を認め、個人の自由と平等を主張すると共に、他面に於て國家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。
 
從つてそこには歴史的全體より孤立して、抽象化せられた個々獨立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界觀・人生觀を基とする政治學説・社會學説・道徳學説・敎育學説等が、一方に於て我が國の諸種の改革に貢獻すると共に、他方に於て深く廣くその影響を我が國本來の思想・文化に與へた。
 
我が國の啓蒙運動に於ては、先づ佛蘭西啓蒙期の政治哲學たる自由民權思想を始め、英米の議會政治思想や實利主義・功利主義、獨逸の國權思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廢にその力を發揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に廣く時代の風潮をなし、政治・經濟・思想・風習等を動かし、所謂歐化主義時代を現出した。
 
然るにこれに對して傳統復歸の運動が起つた。それは國粹保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した國民的自覺の現れであつた。蓋し極端な歐化は、我が國の傳統を傷つけ、歴史の内面を流れる國民的精神を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて歐化主義と國粹保存主義との對立を來し、思想は昏迷に陷り、國民は、内、傳統に從ふべきか、外、新思想に就くべきかに惱んだ。
 
然るに、明治二十三年「敎育ニ關スル勅語」の渙發せられるに至つて、國民は皇祖皇宗の肇國樹徳の聖業とその履踐すべき大道とを覺り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに歐米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この國體に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。
 
即ち西洋個人本意の思想は、更に新しい旗幟の下に實證主義及び自然主義として入り來り、それと前後して理想主義的思想・學説も迎へられ、又續いて民主主義・社會主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の當面する如き思想上・社會上の混亂を惹起し、國體に關する根本的自覺を喚起するに至つた。
 
國體の自覺 
抑々社會主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その發現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする歐米に於ても、共産主義に對しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本來の個人主義を棄てんとして、全體主義國民主義の勃興を見、ファッショナチスの擡頭ともなつた。
 
即ち個人主義の行詰りは、歐米に於ても我が國に於ても、等しく思想上・社會上の混亂と轉換との時期を將來してゐるといふことが出來る。久しく個人主義の下にその社會・國家を發達せしめた歐米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が國に關する限り、眞に我が國獨自の立場に還り、萬古不易の國體を闡明し、一切の追隨を排して、よく本來の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々歐米文化の攝取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聰明にして宏量なる新日本を建設すべきである。
 
即ち今日我が國民の思想の相剋、生活の動搖、文化の混亂は、我等國民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、眞に我が國體の本義を體得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、獨り我が國のためのみならず、今や個人主義の行詰まりに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。
 
乃ち「國體の本義」を編纂して、肇國の由來を詳《つまびらか》にし、その大精神を闡明すると共に、國體の國史に顯現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て國民の自覺と努力とを促す所以である。



第一章 大日本國體 
一、肇 國 
大日本帝國は、萬世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が萬古不易の國體である。而してこの大義に基づき、一大家族國家として億兆一心聖旨を奉體して、克く忠孝の美徳を發揮する。これ、我が國體の精華とするところである。
 
この國體は、我が國永遠不變の大本であり、國史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、國家の發展と共に彌々鞏く天壤と共に窮まるところがない。我等は先づ我が肇國《てうこく》の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。

天地開闢 
我が肇國は、皇祖天照大神《あまてらすおほみかみ》が神勅を皇孫瓊瓊杵《ににぎ》ノ尊に授け給うて、豐葦原の瑞穗《みづほ》の國に降臨せしめ給うたときに存する。而して古事記・日本書紀等は、皇祖肇國の御事を語るに當つて、先づ天地開闢・修理固成のことを傳へてゐる。即ち古事記には、

天地《あめつち》の初發《はじめ》の時、高天《たかま》ノ原《はら》に成りませる神の名《みな》は、天之御中主《あめのみなかぬし》ノ神、次に高御産巣日《たかみむすび》ノ神、次に神産巣日《かみむすび》ノ神、この三柱の神はみな獨神《ひとりがみ》成りまして、身を隱したまひき。
 
とあり、又日本書紀には、
 
《あめ》先づ成りて地《つち》後に定まる。然して後、神聖《かみ》其の中に生《あ》れます。故《か》れ曰く、開闢之初《あめつちのわかるゝはじめ》、洲《くに》《つち》浮かれ漂へること譬へば猶游ぶ魚の水の上に浮けるがごとし。その時天地の中に一物《ひとつのもの》《な》れり。状《かたち》《あし》《かび》の如し。便ち《すなわち》化爲《な》りませる神を國常立《くにのとこたち》ノ尊と號《まを》す。
 
とある。かゝる語事《かたりごと》、傳承は古來の國家的信念であつて、我が國は、かゝる悠久なるところにその源を發してゐる。
 
修理固成 
而して國常立ノ尊を初とする神代七代の終に、伊弉諾《いざなぎ》ノ尊・伊弉冉《いざなみ》ノ尊二柱の神が成りましたのである。古事記によれば、二尊は天ツ神諸々の命《みこと》もちて、漂へる國の修理固成の大業を成就し給うた。即ち

是に天ツ神諸もろもろの命以ちて伊邪那岐ノ命・伊邪那美ノ命二柱の神に、この漂へる國を修理《つく》固成《かため》なせと詔號《の》りごちて、天の沼矛《ぬぼこ》を賜ひてことよさしたまひき。
 
とある。かくて伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊は、先づ大八洲を生み、次いで山川・草木・神々を生み、更に天照大神これらを統治せられる至高の神たる天照大神を生み給うた。即ち古事記には、
 
此の時伊邪那岐ノ命大《いた》く歡喜《よろこ》ばして詔りたまはく、吾《あれ》は子《みこ》生み生みて、生みの終《はて》に、三貴子《みはしらのうつのみこ》得たりと詔りたまひて、即ち其の御頸珠《くびたま》の玉の緒《を》もゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまはく、汝《な》が命は高天原を知らせと、ことよさして賜ひき。
 
とあり、又日本書紀には、
 
伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊共に議《はか》りて曰《のたまわ》く、吾《あ》れ已に大八洲國及び山川草木を生めり、何《いか》にぞ天下《あめした》の主《きみ》たるべき者《かみ》を生まざらめやと。是に共に日神《ひのかみ》を生みまつります。大日《おほひる》孁貴《めのむち》と號《まを》す。(一書に云く、天照大神、一書に云く、天照大日孁ノ尊。)此の子《みこ》光華《ひかり》明彩《うるは》しくして六合《あめつち》の内に照徹《てりとほ》らせり。
 
とある。天照大神は日神又は大日孁貴とも申し上げ、「光華明彩しくして六合《あめつち》の内に照徹らせり」とある如く、その御稜威は宏大無邊であつて、萬物を化育せられる。即ち天照大神は高天ノ原の神々を始め、二尊の生ませられた國土を愛護し、群品を撫育し、生成發展せしめ給ふのである。

神勅と皇孫の降臨 
天照大神は、この大御心・大御業を天壤と共に極まりなく彌榮えに發展せしめられるために、皇孫を降臨せしめられ、神勅を下し給うて君臣の大義を定め、我が國の祭祀と政治と敎育との根本を確立し給うたのであつて、こゝに肇國の大業が成つたのである。
 
我が國は、かゝる悠久深遠な肇國の事實に始つて、天壤と共に窮りなく生成發展するのであつて、まことに萬邦に類を見ない一大盛時を現前してゐる。
 
天照大神が皇孫瓊瓊杵ノ尊を降し給ふに先立つて、御弟素戔嗚ノ尊の御子孫であらせられる大國主ノ神を中心とする出雲の神々が、大命を畏んで恭順せられ、こゝに皇孫は豐葦原の瑞穂の國に降臨遊ばされることになつた。而して皇孫降臨の際に授け給うた天壤無窮の神勅には、
 
豐葦原の千五百《ちいほ》秋の瑞穂の國は、是れ吾が子孫《うみのこ》の王《きみ》たるべき地《くに》なり。宜しく爾《いまし》皇孫《すめみま》《ゆ》きて治《しら》せ。行矣《さきくませ》。寶祚《あまつひつぎ》の隆えまさむこと、當に天壤《あめつち》と窮りなかるべし。
 
と仰せられてある。即ちこゝに儼然たる君臣の大義が昭示せられて、我が國體は確立し、すべしろしめす大神たる天照大神の御子孫が、この瑞穂の國に君臨し給ひ、その御位の隆えまさんこと天壤と共に窮まりないのである。而してこの肇國の大義は、皇孫の降臨によつて萬古不易に豐葦原の瑞穂の國に實現せられるのである。更に神鏡奉齋の神勅には、
 
此れの鏡は、專《もは》ら我が御魂《みたま》として、吾が前《みまへ》を拜《いつ》くが如《ごと》、いつきまつれ。
 
と仰せられてある。即ち御鏡は、天照大神の崇高なる御靈代《みたましろ》として皇孫に授けられ、歴代天皇はこれを承け繼ぎ、いつきまつり給ふのである。歴代天皇がこの御鏡を承けさせ給ふことは、常に天照大神と共にあらせられる大御心であつて、即ち天照大神は御鏡と共に今にましますのである。
 
天皇は、常に御鏡をいつきまつり給ひ、大神の御心をもつて御心とし、大神と御一體とならせ給ふのである。而してこれが我が國の敬神崇祖の根本である。
又この神勅に次いで、
 
思金《おもひかね》ノ神は、前の事を取り持ちて政《まつりごと》せよ。
 
と仰せられてある。この詔は、思金ノ神が大神の詔の随(まにま)に、常に御前の事を取り持ちて行なふべきことを明示し給うたものであつて、これは大神の御子孫として現御神《あきつみかみ》であらせられる天皇と、天皇の命によつて政に當るものとの關係を、儼として御示し遊ばされたものである。
 
即ち我が國の政治は、上は皇祖皇宗の神靈を祀り、現御神として下萬民を率ゐ給ふ天皇の統べ治らし給ふところであつて、事に當るものは大御心を奉戴して輔翼の至誠を盡くすのである。されば我が國の政治は神聖なる事業であつて、決して私のはからひ事ではない。
 
こゝに天皇の御本質を明らかにし、我が國體を一層明徴にするために、神勅の中にうかゞはれる天壤無窮・萬世一系の皇位・三種の神器等についてその意義を闡明しなければならぬ。

天壤無窮 
天壤無窮とは天地と共に窮りないことである。惟ふに、無窮といふことを單に時間的連續に於てのみ考へるのは、未だその意味を盡くしたものではない。普通、永遠とか無限とかいふ言葉は、單なる時間的連續に於ける永遠性を意味してゐるのであるが、所謂天壤無窮は、更に一層深い意義をもつてゐる。
 
即ち永遠を表すと同時に現在を意味してゐる。現御神にまします天皇の大御心・大御業の中には皇祖皇宗の御心が拜せられ、又この中に我が國の無限の將來が生きてゐる。我が皇位が天壤無窮であるといふ意味は、實に過去も未來も今に於て一になり、我が國が永遠の生命を有し、無窮に發展することである。我が歴史は永遠の今の展開であり、我が歴史の根柢にはいつも永遠の今が流れてゐる。
 
「敎育ニ關スル勅語」に「天壤無窮の皇運ヲ扶翼《ふよく》スヘシ」と仰せられてあるが、これは臣民各々が、皇祖皇宗の御遺訓を紹述し給ふ天皇に奉仕し、大御心を奉戴し、よくその道を行ずるところに實現せられる。これによつて君民體を一にして無窮に生成發展し、皇位は彌々榮え給ふのである。まことに天壤無窮の寶祚は我が國體の根本であつて、これを肇國の初に當つて永久に確定し給うたのが天壤無窮の神勅である。

萬世一系の皇位 
皇位は、萬世一系の天皇の御位であり、たゞ一すぢの天ツ日嗣である。皇位は、皇祖の神裔にましまし、皇祖皇宗の肇め給うた國を承け繼ぎ、これを安國と平らけくしろしめすことを大御業とせさせ給ふ「すめらぎ」の御位であり、皇祖と御一體となつてその大御心を今に顯し、國を榮えしめ民を慈しみ給ふ天皇の御地位である。
 
臣民は、現御神にまします天皇を仰ぐことに於て同時に皇祖皇宗を拜し、その御惠の下に我が國の臣民となるのである。かくの如く皇位は尊嚴極まりなき高御座《たかみくら》であり、永遠に搖ぎなき國の大本である。
 
高御座に即き給ふ天皇が、萬世一系の皇統より出でさせ給ふことは肇國の大本であり、神勅に明示し給ふところである。即ち天照大神の御子孫が代々この御位に即かせ給ふことは、永久に渝ることのない大義である。
 
個人の集團を以て國家とする外國に於ては、君主は智・徳・力を標準にして、徳あるはその位に即き、徳なきはその位を去り、或は權力によつて支配者の位置に上り、權力を失つてその位を逐はれ、或は又主權者たる民衆の意のまゝに、その選擧によつて決定せられる等、專ら人の仕業、人の力のみによつてこれを定める結果となるのは、蓋し止むを得ないところであろう。
 
而もこの徳や力の如きは相對的ののであるから、いきほひ權勢や利害に動かされて爭鬪を生じ、自ら革命の國柄をなすに至る。然るに我が國に於ては、皇位は萬世一系の皇統に出でさせられる御方によつて繼承せられ、絶對に動くことがない。
 
さればかゝる皇位にまします天皇は、自然にゆかしき御徳をそなへさせられ、從つて御位は益々鞏く又神聖にましますのである。臣民が天皇に仕へ奉るのは所謂義務ではなく、又力に服することでもなく、止み難き自然の心の現れであり、至尊に對し奉る自らなる渇仰隨順である。
 
我等國民は、この皇統の彌々榮えます所以と、その外國に類例を見ない尊嚴とを、深く感銘し奉るのである。

三種の神器 
皇位のおしるしとして三種の神器が存する。日本書紀には、
 
天照大神、乃ち天津彦《あまつひこ》彦火《ひこほの》瓊瓊杵ノ尊に、八坂瓊ノ曲玉及び八咫ノ鏡・草薙の劒、三種《みくさ》の寶物を給ふ。
 
とある。この三種の神器は、天の岩屋の前に於て捧げられた八坂瓊ノ曲玉・八咫ノ鏡及び素戔嗚ノ尊の奉られた天ノ叢雲ノ劒(草薙ノ劒)の三種である。皇祖は、皇孫の降臨に際して特にこれを授け給ひ、爾來、神器は連綿として代々相傳へ給ふ皇位の御しるしとなつた。
 
從つて歴代の天皇は、皇位繼承の際これを承けさせ給ひ、天照大神の大御心をそのまゝに傳へさせられ、就中、神鏡を以て皇祖の御靈代として奉齋し給ふのである。畏くも、今上天皇陛下御即位式の勅語には、
 
朕祖宗ノ威靈ニ頼リ敬ミテ大統ヲ承ケ恭シク神器ヲ奉シ茲ニ即位ノ禮ヲ行ヒ昭ニ爾有衆ニ誥ク
 
と仰せられてある。而してこの三種の神器については、或は政治の要諦を示されたものと解するものもあり、或は道徳の基本を示されたものと拜するものもあるが、かゝることは、國民が神器の尊嚴をいやが上にも仰ぎ奉る心から自ら流れ出たものと見るべきであらう。


 
二、聖 徳 
天 皇 
伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊の修理固成は、その大御心を承け給うた天照大神の神勅によつて肇國となり、更に神武天皇の御創業となり、歴代天皇の大御業となつて榮えゆくのである。二尊によつて大八洲は生まれ、天照大神の神勅によつて國は肇つた。
 
天照大神の御徳を日本書紀には「光華明彩しくして六合《あめつち》の中に照徹(てりとほ)らせり」と申し上げてゐる。天皇はこの六合《あめつち》の内を普く照り徹らせ給ふ皇祖の御徳を具現し、皇祖皇宗の御遺訓を繼承せられて、無窮に我が國を統治し給ふ。
 
而して臣民は、天皇の大御心を奉體して惟神の天業を翼贊し奉る。こゝに皇國の確立とその限りなき隆昌とがある。孝徳天皇は、大化三年新政斷行後の詔に、
 
惟神も我《あ》が子《みこ》《しら》さむと故《こと》寄させき。是を以て天地の初より君と臨《しら》す國なり。
 
と宣はせられてゐる。又、今上天皇陛下御即位式の勅語には、
 
朕惟フニ我カ皇祖皇宗惟神ノ大道ニ遵ヒ天業ヲ經綸シ萬世不易ノ丕基ヲ肇メ一系無窮ノ永祚ヲ傳ヘ以テ朕カ躬ニ逮ヘリ
 
と仰せられてある。以て歴代の天皇が萬世一系の皇位を承け繼がせられ、惟神の大道に遵ひ、彌々天業を經綸し給ふ大御心を拜することが出來る。
 
神武天皇が高千穗の宮にて皇兄五瀬ノ命と議り給うた時「何れの地ところにまさばか、天の下の政をば平けく聞しめさむ」と仰せられたのは、國を念ひ、民を慈しみ給ふ大御心の現れであり、而してこれは、歴代の天皇の御精神でもあらせられる。天皇が御奠都に際して、
 
我東に征きしより茲に六年になりぬ。皇天《あまつかみ》の威《みいきほひ》を頼かゝぶ》りて、凶徒《あだども》就戮《ころ》されぬ。邊土《ほとりのくに》未だ清《しづ》まらず餘妖《のこりのわざはひ》尚梗《こはし》と雖も、中州之地《なかつくに》復風塵《さわぎ》なし。誠に宜しく皇都《みやこ》を恢廓《ひらきひろ》め大壯《みあらか》を規摸《はかりつく》るべし。・・・然して後に六合《くにのうち》を兼ねて以て都を開き、八紘《あめのした》を掩おほ》ひて宇《いへ》と爲《せ》むこと、亦可《よ》からずや。
 
と仰せられた詔は、まことに禍を拂ひ、道を布き、彌々廣く開けゆく我が國の輝かしい發展の道を示し給うたものである。而してこれ實に歴代天皇がいや繼ぎ繼ぎに繼ぎ給ふ宏謨である。
 
かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のに我が國を統治し給ふ現御神《あきつみかみ》であらせられる。この現御神(明神《あきつかみ》)或は現人神《あらひとがみ》と申し奉るのは、所謂絶對神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一體であらせられ、永久に臣民・國土の生成發展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。
 
帝國憲法第一條に「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、又第三條に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、天皇のこの御本質を明らかにし奉つたものである。從つて天皇は、外國の君主と異なり、國家統治の必要上立てられた主權者でもなく、智力・徳望をもととして臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。

敬 神 
天皇は天照大神の御子孫であり、皇祖皇宗の神裔であらせられる。天皇の御位はいかしく重いのであるが、それは天ツ神の御子孫として、この重き位に即き給ふが故である。文武天皇御即位の宣命に、
 
高天ノ原に事始めて遠天皇祖《とほすめろぎ》の御世《みよみよ、中《なか》《いま》に至るまでに、天皇《すめら》が御子のあれまさむ彌繼ぎ繼ぎに大八島國知らさむ次《つぎて》と、天ツ神の御子ながらも天に坐す神の依さし奉りしまにまに、
 
と仰せられた如く、歴代の天皇は、天ツ神の御子孫として皇祖皇宗を敬ひまつり、皇祖皇宗と御一體になつて御位にましますのである。
 
されば古くは、神武天皇が鳥見《とみ》の山中に靈畤《まつりのには》を立て、皇祖天神を祀つて大孝を申ベさせられたのを始め、歴代の天皇皆皇祖皇宗の神靈を崇敬し、親しく祭祀を執り行はせ給ふのである。
 
天皇は恆例及び臨時の祭祀を最も嚴肅に執り行はせられる。この祭祀は天皇が御親ら皇祖皇宗の神靈をまつり、彌々皇祖皇宗と御一體とならせ給ふためであつて、これによつて民人の慶福、國家の繁榮を祈らせ給ふのである。又古來農事に關する祭を重んじ、特に御一代一度の大嘗祭竝びに年毎の新嘗祭には、夜を徹して御親祭遊ばされる。
 
これは皇孫降臨の際、天照大神が天壤無窮の神勅と神器とを下し給ふと同時に、齊庭《ゆにわ》の稻穗を授けさせられたことに基づくのである。その時の神勅には、
 
吾が高天ノ原に御《きこしめ》す齊庭《ゆにわ》の穗《いなほ》を以て、亦吾が兒《みこ》に御《まか》せまつる。
 
と仰せられてある。即ち大嘗祭竝びに新嘗祭には、皇祖の親授し給ひし稻穗を尊み、瑞穗の國の民を慈しみ給ふ神代ながらの御精神がよく拜察せられる。

祭政敎一致 
天皇は祭祀によつて、皇祖皇宗と御一體とならせ給ひ、皇祖皇宗の御精神に應へさせられ、そのしろしめされた蒼生を彌々撫育し榮えしめ給はんとせられる。ここに天皇の國をしろしめす御精神が拜せられる。故に神を祭り給ふことと政をみそなはせ給ふこととは、その根本に於て一致する。
 
又天皇は皇祖皇宗の御遺訓を紹述し、以て肇國の大義と國民の履踐すべき大道とを明らかにし給ふ。こゝに我が敎育の大本が存する。從つて敎育も、その根本に於ては、祭祀及び政治と一致するのであつて、即ち祭祀と敎育とは、夫々の働きをしながら、その歸するところは全く一となる。
 
國土經營の御精神 
天皇の國土經營の大御心は、我が國史の上に常に明らかに拜察せられる。この國土は、伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊が天ツ神諸々の命もちて修理固成し給うたものである。而して皇孫瓊瓊杵ノ尊は天照大神の神勅を奉じ、諸神を率ゐて降臨し、我が國永遠不動の礎を定め給うた。
 
爾來日向に於て彦波瀲武鵜草葺不合《ひこなみさたけうかやふきあへず》ノ尊まで代々養正の御心を篤くせられたのであるが、神武天皇に至つて都を大和に奠《さだ》めて、元元《おほみたから》を鎭め、上は乾靈授國の御徳に應へ、下は皇孫養正の御心を弘め給うた。
 
されば歴代天皇の國土經營の御精神は、一に皇祖の皇孫を降臨せしめ給うた大御心に基づき、この國土を安泰ならしめ、敎化啓導の御徳を(あまね)られるところにある。崇神天皇の御世に四道將軍を發遣せられた際にも、この御精神は明らかに拜せられる。即ちその詔には、
 
民を導くの本は、敎化《おしへおもむく》るに在り。今既に神祇を《ゐやま》て、災害《わざはひ皆耗《つ》きぬ。然れども遠荒《とほきくに》の人等《ども》、猶正朔《のり》を受けず、是れ未だ王化《きみのおもむけ》に習はざればか。其れ群卿《まへつきみたち》を選びて、四方に遣して、朕が憲《のり》を知らしめよ。
 
と仰せられてある。景行天皇の御代に、日本武ノ尊をして熊襲・蝦夷を平定せしめられた場合も亦全く同樣である。
 
更に神功皇后が新羅に出兵し給ひ、桓武天皇が坂上ノ田村麻呂をして奧羽の地を鎭めさせ給うたのも、近くは日清・日露の戰役も、韓國の併合も、又滿洲國の建國に力を盡くさせられたのも、皆これ、上は乾靈授國の御徳に應へ、下は國土の安寧と愛民の大業をすゝめ、四海に御稜威を輝かし給はんとの大御心の現れに外ならぬ。明治天皇は、
 
おごそかに たもたざらめや 神代より
        うけつぎ來たる うらやすの國
かみつよの 聖のみよの あととめて
        わが葦原の 國はをさめむ
 
と詠み給うた。以て天皇の尊き大御心を拜察すべきである。
 

愛 民 
天皇の、億兆に限りなき愛撫を垂れさせ給ふ御事蹟は、國史を通じて常にうかがはれる。畏《かしこ》くも天皇は、臣民を「おほみたから」とし、赤子《せきし》と思召されて愛護し給ひ、その協翼《きょうよく》倚藉《いしゃ》して皇猷《こうゆう》恢弘《かいこう》せんと思召されるのである。
 
この大御心を以て歴代の天皇は、臣民の慶福《けいふく》のために御心を注がせ給ひ、ひとり正しきを勸め給ふのみならず、惡しく《まが》れるものをも慈しみ改めしめられるのである。
 
天照大神が、皇孫を御降しになるに先立つて出雲の神々の恭順を勸め給ふ際にも、平和的手段を旨とし、大國主ノ神の恭順せられるに及んで、宮居を建てて優遇し給うた。これ、今日まで出雲大社の重んぜられる所以である。かゝる御仁愛は、皇祖以來、常にこの國土をしろしめす天皇の御精神であらせられる。
 
歴代の天皇が蒼生《そうせい》を愛養して、その衣食を豐かにし、その災害を除き、ひたすら民を安んずるを以て、天業恢弘《かいこう》の要務となし給うたことは更めて説くまでもない。

垂仁天皇は多くの池溝を開き、農事を勸め、もつて百姓おほみたからを富寛ならしめ給うた。又百姓の安養を御軫念遊ばされた仁徳天皇の御仁慈は、國民の普く語り傳へて頌へ奉るところである。雄略天皇の御遺詔には、

筋力精神かたちこゝろたましひ、一時もろともに勞竭いたつきぬ。此の如きの事、本より身の爲のみに非ず。たゞ百姓を安養やすくせむと欲するのみ。

と仰せられ、又醍醐天皇が寒夜に御衣をぬがせられて民の身の上を想はせ給うた御事蹟の如き、後醍醐天皇が天下の飢饉を聞召して、「朕不徳あらば天予一人を罪すべし。

黎民の何の咎有てか此災に遭ふ」と仰せられて、朝餉あさがれひの供御くごを止められて飢人窮民に施行し給ひ、後奈良天皇が疫病流行のため民の死するもの多きをいたく御軫念あらせられた御事蹟の如き、我等臣民の齊しく感泣し奉るところである。

天皇は億兆臣民を御一人の臣民とせられず、皇祖皇宗の臣民の子孫と思召させ給ふのである。憲法發布勅語にも、

朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ囘想シ

と仰せられ、又、明治天皇は明治元年維新の宸翰に、

朝政一新ノ時ニ膺リ天下億兆一人モ其處ヲ得サル時ハ皆朕カ罪ナレハ今日ノ事朕自身骨ヲ勞シ心志ヲ苦メ艱難ノ先ニ立古列祖ノ盡サセ給ヒシ蹤ヲ履ミ治蹟ヲ勤メテコソ始テ天職ヲ奉シテ億兆ノ君タル所ニ背カサルヘシ

と仰せ給ひ、御製に、

みちみちに つとめいそしむ 國民の
        身をすくよかに あらせてしがな

とあるのを拜誦する時、親の子を慈しむにいやまさる天皇の御仁慈を明らかに拜し奉るのである。

維新前後より國事にたふれた忠誠なる臣民を、身分職業の別なく、その勳功を賞して、靖國神社に神として祀らせられ、又天災地變の際、畏くも御救恤に大御心を注がせ給うた御事蹟は一々擧げて數え難き程である。

更に民にして行を誤つた者に對してすらも、罪を憐れむ深き御仁徳をもつてこれを容し給ふのである。

尚、歴代の天皇は臣民の守るべき道を懇ろに示し給うてゐる。即ち推古天皇の御代には憲法十七條の御制定があり、近く明治二十三年には「敎育ニ關スル勅語」を御下賜遊ばされた。まことに聖徳の宏大無邊なる、誰か感佩せざるものがあらうか。


三、臣 節 
臣 民 
我等は既に宏大無邊の聖徳を仰ぎ奉つた。この御仁慈の聖徳の光被するところ、臣民の道は自ら明らかなものがある。臣民の道は、皇孫瓊瓊杵ノ尊の降臨し給へる當時、多くの神々が奉仕せられた精神をそのまゝに、億兆心を一にして天皇に仕へ奉るところにある。

即ち我等は、生まれながらにして天皇に奉仕し、皇國の道を行ずるものであつて、我等臣民のかゝる本質を有することは、全く自然に出づるのである。

我等臣民は、西洋諸國に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる。君民の關係は、君主と對立する人民とか、人民先づあつて、その人民の發展のため幸福のために、君主を定めるといふが如き關係ではない。

然るに往々にして、この臣民の本質を謬り、或は所謂人民と同視し、或は少なくともその間に明確な相違あることを明らかにし得ないもののあるのは、これ、我が國體の本義に關し透徹した見解を缺き、外國の國家學説を曖昧な理解の下に混同して來るがためである。

各々獨立した個々の人間の集合である人民が、君主と對立し君主を擁立する如き場合に於ては、君主と人民との間には、これを一體ならしめる深い根源は存在しない。然るに我が天皇と臣民との關係は、一つの根源より生まれ、肇國以來一體となつて榮えて來たものである。

これ即ち我が國の大道であり、從つて我が臣民の道の根本をなすものであつて、外國とは全くそのを異にする。固より外國と雖も、君主と人民との間には夫々の歴史があり、これに伴ふ情義がある。

併しながら肇國の初より、自然と人とを一にして自らなる一體の道を現じ、これによつて彌々榮えて來た我が國の如きは、決してその例を外國に求めることは出來ない。

こゝに世界無比の我が國體があるのであつて、我が臣民のすべての道はこの國體を本として始めて存し、忠孝の道も亦固よりこれに基づく。

忠君愛國 
我が國は、天照大神の御子孫であらせられる天皇を中心として成り立つてをり、我等の祖先及び我等は、その生命と活動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉體することは、我等の歴史的生命を今に生かす所以であり、こゝに國民のすべての道徳の根源がある。

忠は、天皇を中心とし奉り、天皇に絶對隨順する道である。絶對隨順は、我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。この忠の道を行ずることが我等國民の唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。

されば、天皇の御ために身命を捧げることは、所謂自己犧牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御稜威に生き、國民としての眞生命を發揚する所以である。天皇と臣民との關係は、固より權力服從の人爲的關係ではなく、また封建道徳に於ける主從の關係の如きものでもない。

それは分を通じて本源に立ち、分を全うして本源を顯すのである。天皇と臣民との關係を、單に支配服從・權利義務の如き相對的關係と解する思想は、個人主義的思考に立脚して、すべてのものを對等な人格關係と見る合理主義的考へ方である。

個人は、その發生の根本たる國家・歴史に連なる存在であつて、本來それと一體をなしてゐる。然るにこの一體より個人のみを抽象し、この抽象せられた個人を基本として、逆に國家を考へ又道徳を立てても、それは所詮本源を失つた抽象論に終るの外はない。

我が國にあつては、伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊は自然と神々との祖神であり、天皇は二尊より生まれました皇祖の神裔であらせられる。皇祖と天皇とは御親子の關係にあらせられ、天皇と臣民との關係は、義は君臣にして情は父子である。

この關係は、合理的義務的關係よりも更に根本的な本質關係であつて、こゝに忠の道の生ずる根據がある。個人主義的人格關係からいへば、我が國の君臣の關係は、沒人格的の關係と見えるであらう。併しそれは個人を至上とし、個人の思考を中心とした考、個人的抽象意識より生ずる誤に外ならぬ。

我が君臣の關係は、決して君主と人民と相對立する如き淺き平面的關係ではなく、この對立を絶した根本より發し、その根本を失はないところの沒我的歸一の關係である。それは、個人主義的な考へ方を以てしては決して理解することの出來ないものである。

我が國に於ては、肇國以來この大道が自ら發展してゐるのであつて、その臣民に於て現れた最も根源的なものが即ち忠の道である。こゝに忠の深遠な意義と尊き價値とが存する。

近時、西洋の個人主義的思想の影響を受け、個人を本位とする考へ方が旺盛となつた。從つてこれと本質を異にする我が忠の道の本旨は必ずしも徹底してゐない。即ち現時我が國に於て忠を説き、愛國を説くものも、西洋の個人主義・合理主義に累せられ、動もすれば眞の意味を逸してゐる。

私を立て、我に執し、個人に執著するがために生ずる精神の汚濁、知識の陰翳を祓ひ去つて、よく我等臣民本來の清明な心境に立ち歸り、以て忠の大義を體認しなければならぬ。

天皇は、常に皇祖皇宗を祀り給ひ、萬民に率先して祖孫一體の實を示し、敬神崇祖の範を垂れ給ふのである。又我等臣民は、皇祖皇宗に仕へ奉つた臣民の子孫として、その祖先を崇敬し、その忠誠の志を繼ぎ、これを現代に生かし、後代に傳へる。

かくて敬神崇祖と忠の道とは全くその本を一にし、本來相離れぬ道である。かゝる一致は獨り我が國に於てのみ見られるのであつて、ここにも我が國體の尊き所以がある。

敬神崇祖と忠の道との完全な一致は、又それらのものと愛國とが一となる所以である。抑々我が國は皇室を宗家とし奉り、天皇を古今に亙る中心と仰ぐ君民一體の一大家族國家である。故に國家の繁榮に盡くすことは、即ち天皇の御榮えに奉仕することであり、天皇に忠を盡くし奉ることは、即ち國を愛し國の隆昌を圖ることに外ならぬ。

忠君なくして愛國はなく、愛國なくして忠君はない。あらゆる愛國は、常に忠君の至情によつて貫かれ、すべての忠君は常に愛國の熱誠を伴つてゐる。固より外國に於ても愛國の精神は存する、然るにこの愛國は、我が國の如き忠君と根柢より一となり、又敬神崇祖と完全に一致するが如きものではない。

實に忠は我が臣民の根本の道であり、我が國民道徳の基本である。我等は、忠によつて日本臣民となり、忠に於て生命を得、ここにすべての道徳の根源を見出す。これを我が國史に徴するに、忠君の精神は常に國民の心を一貫してゐる。

戰國時代に於ける皇室の式微は、寔に畏れ多いの極みであるが、しかしこの時代に於ても、なほ英雄が事をなすに當つては、その尊皇の精神の認められない限り、人心を得ることは出來なかつた。織田信長・豐臣秀吉等がよく事功を奏するを得たことは、この間の消息を物語つてゐる。即ち如何なる場合にも、尊皇の精神は國民を動かす最も力強いものである。萬葉集に見える大伴家持おおとものやかもちの歌には、

大伴の 遠つ神祖《かむおや》の その名をば 大來目主《おほくめぬし》と おひもちて 仕へし官《つかさ》 海行かば 水漬《みづ》くかばね 山行かば 草むすかばね 大皇《おほきみ》の 邊《へ》にこそ死なめ かへりみはせじ と言立《ことたて》

とある。この歌は、古より我が國民の胸奧の琴線に觸れ、今に傳誦せられている。橘諸兄《たちばなのもろえ》

ふる雪の 白髪しろかみまでに 大皇おほきみに
        つかへまつれば 貴くもあるか

の歌には、白髮に至るまで大君に仕へ奉つた忠臣の面目が躍如として現れてゐる。又楠木正成の七生報國の精神は、今も國民を感奮興起せしめてゐる。又我が國には古より、或は激越に或は沈痛に忠君の心を歌に託して披瀝したものが少くない。即ち源實朝の

山はさけ 海はあせなむ 世なりとも
        君に二心 我あらめやも

僧月照の

大君の 爲には何か 惜しからむ
     薩摩の瀬戸に 身は沈むとも

平野國臣の

數ならぬ 身にはあれども 希はくは
       錦の旗の もとに死にてむ

梅田雲濱の

君が代を 思ふ心の 一すぢに
   我が身ありとも 思はざりけり

等の如きそれである。忠は、國民各自が常時その分を盡くし、忠實にその職務を勵むことによつて實現せられる。

畏くも「敎育ニ關スル勅語」に示し給うた如く、獨り一旦緩急ある場合に義勇公に奉ずるのみならず、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭儉己れを持し、博愛衆に及ぼし、學を修め、業を習ひ、智能を啓發し、徳器を成就し、更に公益を廣め、世務を開き、國憲を重んじ、國法に遵ふ等のことは、皆これ、大御心に應え奉り、天業の恢弘《かいこう》扶翼《ふよく》し奉る所以であり、悉く忠の道である。橘守部《たちばなもりべ》は待問雜記に、
 
世人、直に大宮に事ふるのみを奉公といへども、此照す日月の下に、天皇に不事《つかへぬ》人やはある。武士の官司《つかさつかさ》《ひきゐ》ます、かけまくも畏き御あたりをはじめ、下がしもに至るまで、只高き卑き差等《けぢめ》こそあれ、咸《ことごと》く君に仕る身にしあれば、物を書くも君のため、疾《やまい》を治すも君のため、田を佃《つく》るも君のため、商ひするももとより君の御爲なれど、卑賤身《いやしきみ》は、遙に下に遠離《とほざか》れれば、只近く世人のために《いたつ》ほどの、天皇への事《つかへ》はなきなり。

と述べてゐる。まことに政治にたづさはる者も、産業に從事する者も、將又、敎育・學問に身を獻げる者も、夫々ほどほどに身を盡くすことは、即ち皇運を扶翼《ふよく》し奉る忠の道であつて、決して私の道ではない。このことは、明治天皇の御製に、

ほどほどに こゝろをつくす 國民の
       ちからぞやがて わが力なる
國のため 身のほどほどに 盡さなむ
       心のすゝむ 道を學びて

と仰せられてあるによつて明らかである。自己の職務を盡くすことが即ち天皇の大御業を扶翼《ふよく》し奉る所以であるとの深い自覺に立ち、

入リテハ恭儉勤敏業ニ服シ産ヲ治メ出テテハ一己ノ利害ニ偏セスシテ力ヲ公益世務ニ竭シ以テ國家ノ興隆ト民族ノ安榮社會ノ福祉トヲ圖ルヘシ

と仰せられた聖旨のまにまに務め勵むことは、即ち臣民たるものの本務であり、日本人としての尊いつとめである。
 
我が國に於ては、孝は極めて大切な道である。孝は家を地盤として發生するが、これを大にしては國を以てその根柢とする。孝は、直接には親に對するものであるが、更に天皇に對し奉る關係に於て、忠のなかに成り立つ。

我が國民の生活の基本は、西洋の如く個人でもなければ夫婦でもない。それは家である。家の生活は、夫婦兄弟の如き平面的關係だけではなく、その根幹となるものは、親子の立體的關係である。この親子の關係を本として近親相倚り相扶けて一團となり、我が國體に則とつて家長の下に渾然融合したものが、即ち我が國の家である。

從つて家は固より利益を本として集まつた團體でもなく、又個人的相對的の愛などが本となつてつくられたものでもない。生み生れるといふ自然の關係を本とし、敬慕と慈愛とを中心とするのであつて、すべての人が、先づその生まれ落ちると共に一切の運命を託するところである。

我が國の家の生活は、現在の親子一家の生活に盡きるのではなく、遠き祖先に始り、永遠に子孫によつて繼續せられる。現在の家の生活は、過去と未來とをつなぐものであつて、祖先の志を繼承發展させると同時に、これを子孫に傳へる。古來我が國に於て、家名が尊重せられた理由もこゝにある。

家名は祖先以來築かれた家の名譽であつて、それを汚すことは、單なる個人の汚辱であるばかりでなく、一連の過去現在及び未來の家門の恥辱と考へられる。從つて武士が戰場に出た場合の名乘の如きは、その祖先を語り、祖先の功業を語ることによつて名譽ある家の名を辱しめないやうに、勇敢に戰ふことを誓ふ意味のものである。

又古より家憲・家訓乃至家風の如きものがあつて、子々孫々に繼承し發展せしめられ、或は家寶なるものが尊重保存せられ、家の繼承の象徴とせられ、或は我が國民一般を通じて、祖先の靈牌が嚴肅に承け繼がれてゐる如きは、國民の生活の基本が家にあり、家が自然的情愛を本とした訓練精進の道場たることを示してゐる。

かくの如く家の生活は、單に現在に止まるものでなく、祖先より子孫に通ずる不斷の連續である。從つて我が國に於ては、家の繼承が重んぜられ、法制上にも家督相續の制度が確立せられてゐる。現代西洋に於て遺産相續のみあつて家督相續がないのは、西洋の家と我が國の家とが、根本的に相違してゐることを示してゐる。

親子の關係は自然の關係であり、そこに親子の情愛が發生する。親子は一連の生命の連續であり、親は子の本源であるから、子に對しては自ら撫育慈愛の情が生まれる。子は親の發展であるから、親に對しては敬慕報恩の念が生まれる。古來親子の關係に於て、親の子を思ふ心、子の親を敬慕する情を示した詩歌や物語や史實は極めて多い。萬葉集にも山上憶良の子に對する愛を詠んだ歌がある。

瓜食はめば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲しのばゆ いづくより 來りしものぞ 眼交《まなかひ》に もとなかゝりて 安寢《やすい》しなさぬ

    反 歌

《しろがね》も 金《くがね》も玉も 何せむに
         まされる寶子に しかめやも

この歌は、まことに子を思ふ情を短い中によく表してゐる。又憶良がその子古日ふるひの死を悲しんで、

《わか》ければ 道ゆきしらじ 幣《まひ》はせむ
         冥途《したべ》の使 負ひてとほらせ

と詠んだ歌の中にも、我が子を思ふ惻々たる親心が見られる。而して子が親を敬慕する情は、よく防人《さきもり》の歌等に現れてゐる。
 
忠孝一本 
我が國の孝は、人倫自然の關係を更に高めて、よく國體に合致するところに眞の特色が存する。我が國は一大家族國家であつて、皇室は臣民の宗家にましまし、國家生活の中心であらせられる。臣民は祖先に對する敬慕の情を以て、宗家たる皇室を崇敬し奉り、天皇は臣民を赤子として愛しみ給ふのである。

雄略天皇の御遺詔に「義は乃ち君臣、情は父子を兼ぬ」と仰せられてあるのは、歴代天皇の大御心である。即ち君臣の關係は公であつて、義によつて結ばれるのであるが、それが單なる義にのみ止まらず、父子と等しき情によつて結ばれてゐることを宣べさせられたのである。「わたくし」に對する「おほやけ」は大家《おほやけ》を意味するのであつて、國即ち家の意味を現してゐる。

我等の祖先は歴代天皇の天業恢弘《かいこう》翼贊し奉つたのであるから、我等が天皇に忠節の誠を致すことは、即ち祖先の遺風を顯すものであつて、これ、やがて父祖に孝なる所以である。

我が國に於ては忠を離れて孝は存せず、孝は忠をその根本としてゐる。國體に基づく忠孝一本の道理がこゝに美しく輝いてゐる。吉田松陰が士規七則の中に、

人君民を養ひ、以て祖業を續ぐ、臣民君に忠に、以て父の志を繼ぐ、君臣一體、忠孝一致は、唯吾國のみ然りとなす。

といつてゐるのは、忠孝一本の道を極めて適切に述べたものである。

支那の如きも孝道を重んじて、孝は百行の本といひ、又印度に於ても父母の恩を説いてゐるが、その孝道は、國に連なり、國を基とするものではない。孝は東洋道徳の特色であるが、それが更に忠と一つとなるところに、我が國の道徳の特色があり、世界にその類例を見ないものとなつてゐる。

從つてこの根本の要點を失つたものは、我が國の孝道ではあり得ない。武士の名乘がその家の皇室に出づることを名乘り、又家憲・家訓が皇室に對し奉る關係をその遠い源とした如きは、全く同じ道理に出づるものと見るべきである。

佐久良《さくら》東雄《あづまを》

すめろぎに つかへまつれと 我を生みし
       我が垂乳根《たらちね》は 尊くありけり

といふ歌は、孝が忠に高められて、始めてまことの孝となることを示すものである。乃木大將夫妻がその子二人までも御國のために獻げて、而も家門の名譽としたのも、家國一體・忠孝一本の心の現れである。かく忠孝一本の道によつて臣民が盡くす心は、天皇の御仁慈の大御心と一となつて君民相和の實が舉げられ、我が國の無限の發展の根本の力となる。

まことに忠孝一本は、我が國體の精華であつて、國民道徳の要諦である。而して國體は獨り道徳のみならず、廣く政治・經濟・産業等のあらゆる部門の根柢をなしてゐる。

從つて忠孝一本の大道は、これら國家生活・國民生活のあらゆる實際的方面に於て顯現しなければならぬ。我等國民はこの宏大にして無窮なる國體の體現のために、彌々忠に彌々孝に努め勵まなければならぬ。


四、和と「まこと」 
 
我が肇國の事實及び歴史の發展の跡を辿る時、常にそこに見出されるものは和の精神である。和は、我が肇國の鴻業より出で、歴史生成の力であると共に、日常離るべからざる人倫の道である。和の精神は、萬物融合の上に成り立つ。人々が飽くまで自己を主とし、私を主張する場合には、矛盾對立のみあつて和は生じない。

個人主義に於ては、この矛盾對立を調整緩和するための協同・妥協・犧牲等はあり得ても、結局眞の和は存しない。即ち個人主義の社會は萬人の萬人に對する鬪爭であり、歴史はすべて階級鬪爭の歴史ともならう。

かゝる社會に於ける社會形態・政治組織及びその理論的表現たる社會學説・政治學説・國家學説等は、和を以て根本の道とする我が國のそれとは本質的に相違する。我が國の思想・學問が西洋諸國のそれと根本的に異なる所以は、實にこゝに存する。

我が國の和は、理性から出發し、互いに獨立した平等な個人の機械的な協調ではなく、全體の中に分を以て存在し、この分に應ずる行を通じてよく一體を保つところの大和である。從つてそこには相互のものの間に敬愛隨順・愛撫掬育が行ぜられる。

これは單なる機械的・同質的なものの妥協・調和ではなく、各々その特性をもち、互いに相違しながら、而もその特性即ち分を通じてよく本質を現じ、以て一如の世界に和するのである。即ち我が國の和は、各自その特質を發揮し、葛藤と切磋琢磨とを通じてよく一に歸するところの大和である。

特性あり、葛藤あるによつて、この和は益々偉大となり、内容は豐富となる。又これによつて個性は彌々伸長せられ、特質は美しきを致し、而も同時に全體の發展隆昌を齎すのである。實に我が國の和は、無爲姑息の和ではなく、溌剌としてものの發展に即して現れる具體的な大和である。

武の精神 
而してこの和は、我が國の武の精神の上にも明らかに現れてゐる。我が國は尚武の國であつて、神社には荒魂(あらみたま)を祀る神殿のあるのもある。修理固成の大命には天の沼矛が先づ授けられ、皇孫降臨の場合にも、武神によつて平和にそれが成就し、神武天皇の御東征の場合にも武が用ゐられた。


併し、この武は決して武そのもののためではなく、和のための武であつて、所謂神武である。我が武の精神は、殺人を目的とせずして活人を眼目としてゐる。その武は、萬物を生かさんとする武であつて、破壞の武ではない。


即ち根柢に和をもち生成發展を約束した葛藤であつて、その葛藤を通じて、ものを生かすのである。ここに我が國の武の精神がある。戰爭は、この意味に於て、決して他を破壞し、壓倒し、征服するためのものではなく、道に則とつて創造の働きをなし、大和即ち平和を現ぜんがためのものでなければならぬ。


むすびと和 
かくの如き和によつて我が國の創造發展は實現せられる。「むすび」とは創造であるが、それは即ち和の力の現れである。伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊相和して神々國土を生み給うた。これ即ち大いなるむすびである。むすびは「むす」から來る。苔むすといふやうに、「むす」はものの生ずることである。


露がむすぶといふのは、露の生ずることをいふ。ものが相和してそこにむすびがある。かくて君臣相和し、臣民互に親和して國家の創造發展がなされる。現下の問題たる國家諸般の刷新改善も、亦この和によるむすびでなければならぬ。それは、一に天皇の御稜威の下に國體に照らして誤れるを正し、大和によつて大いに新たなる成果を生み出すことでなければならぬ。


神と人との和 
更に我が國に於ては、神と人との和が見られる。これを西洋諸國の神人關係と比較する時は、そこに大いなる差異を見出す。西洋の神話に現れた、神による追放、神による處罰、嚴酷なる制裁の如きは、我が國の語事(かたりごと)とは大いに相違するのであつて、こゝに我が國の神と人との關係と、西洋諸國のそれとの間に大なる差異のあることを知る。


このことは我が國の祭祀・祝詞のりとの中にも明らかに見えてゐるところであつて、我が國に於ては、神は恐ろしきものではなく、常に冥助を垂れ給ひ、敬愛感謝せられる神であつて、神と人との間は極めて親密である。


人と自然との和 
又この和は、人と自然との間の最も親しい關係にも見られる。我が國は海に圍まれ、山秀で水清く、春夏秋冬の季節の變化もあつて、他國には見られない美しい自然をなしてゐる。この美しい自然は、神々と共に天ツ神の生み給うたところのものであつて、親しむべきものでこそあれ、恐るべきものではない。


そこに自然を愛する國民性が生まれ、人と自然との和が成り立つ。印度の如きは自然に威壓せられてをり、西洋に於ては人が自然を征服してゐる觀があつて、我が國の如き人と自然との深い和は見られない。これに對して、我が國民は常に自然と相和してゐる。


文藝にもこの自然との和の心を謳つた歌が多く、自然への深い愛は我が詩歌の最も主なる題材である。それは獨り文藝の世界に限らず、日常生活に於ても、よく自然と人世とが調和してゐる。公事根源くじこんげん等に見える季節々々による年中行事を見ても、古くから人生と自然との微妙な調和が現れてゐる。


年の始の行事はいふに及ばず、三月の雛の節供は自然の春にふさはしい行事であり、重陽の菊の節供も秋を迎へるにふさはしいものである。季節の推移の著しい我が國に於ては、この自然と人生との和は殊に美しく生きてゐる。


その外、家紋には多く自然の動植物が用ゐられてをり、服裝その他建築・庭園等もよく自然の美を生かしてゐる。かゝる自然と人との親しい一體の關係も、亦人と自然とが同胞として相親しむ我が國本來の思想から生まれたのである。


國民相互の和 
この和の精神は、廣く國民生活の上にも實現せられる。我が國に於ては、特有の家族制度の下に親子・夫婦が相倚り相扶けて生活を共にしてゐる。「敎育ニ關スル勅語」には「夫婦相和シ」と仰せられてある。而してこの夫婦の和は、やがて「父母ニ孝ニ」と一體に融け合はねばならぬ。


即ち家は、親子關係による縱の和と、夫婦兄弟による横の和と相合したる、渾然たる一如一體の和の榮えるところである。


更に進んで、この和は、如何なる集團生活の間にも實現せられねばならない。役所に勤めるもの、會社に働くもの、皆共々に和の道に從はねばならぬ。夫々の集團には、上に立つものがあり、下に働くものがある。それら各々が分を守ることによつて集團の和は得られる。


分を守ることは、夫々の有する位置に於て、定まつた職分を最も忠實につとめることであつて、それによつて上は下に扶けられ、下は上に愛せられ、又同業互いに相和して、そこに美しき和が現れ、創造が行はれる。


このことは、又郷黨に於ても國家に於ても同樣である。國の和が實現せられるためには、國民各々がその分を竭くし、分を發揚するより外はない。身分の高いもの、低いもの、富んだもの、貧しいもの、朝野・公私その他農工商等、相互に自己に執著して對立をこととせず、一に和を以て本とすべきである。


要するに我が國に於ては、夫々の立場による意見の對立、利害の相違も、大本を同じうするところより出づる特有の大和によつてよく一となる。すべて葛藤が終局ではなく、和が終局であり、破壞を以て終らず、成就によつて結ばれる。ここに我が國の大精神がある。


而して我が國に現れるすべての進歩發展は、皆かくして成される。聖徳太子が憲法十七條に、

和を以て貴しとなし、忤さかふることなきを宗むねと爲す。人皆黨たむら有り、亦達さとれる者少し。是を以て或いは君父に順したがはずして、乍また隣里さととなりに違ふ。然れども上和ぎ下睦びて、事を論あげつらはむに諧かなひぬるときには、則ち事理ことわり自らに通ず。何事か成らざらむ。

と示し給うたのも、我が國のこの和の大精神を説かせられたものである。


君臣一體 
我が國に於ては、君臣一體と古くよりいはれ、天皇を中心として億兆一心・協心戮力、世々厥の美を濟し來つた。天皇の聖徳と國民の臣節とは互いに融合して、美しい和をなしてゐる。仁徳天皇は、

百姓貧しきは、則ち朕が貧しきなり。百姓富めるは、則ち朕が富めるなり。

と仰せられ、又、龜山上皇は、蒙古襲來の際、宸筆の御願文を伊勢神宮に獻げて

朕が身をもつて國難にかへん。

と御祈り遊ばされ、又、今上天皇陛下御即位式の勅語に、

皇祖皇宗國ヲ建テ民ニ臨ムヤ國ヲ以テ家ト爲シ民ヲ視ルコト子ノ如シ列聖相承ケテ仁恕ノ化下ニ洽ク兆民相率ヰテ敬忠ノ俗上ニ奉シ上下感孚シ君民體ヲ一ニス是レ我カ國體ノ精華ニシテ當ニ天地ト竝ヒ存スヘキ所ナリ

と仰せられてある。


こゝに君民體を一にして、その苦樂を共にし給ふ尊い和の純粹顯現を仰ぐことが出來る。又「君のため世のため何か惜しからむ捨ててかひある命なりせば」といふ歌の心は、臣民が天皇に一身を捧げ奉る和の極致を示したものである。


かゝる我が國の和の精神が世界に擴充せられ、夫々の民族・國家が各々その分を守り、その特性を發揮する時、眞の世界の平和とその進歩發展とが實現せられるであらう。


まこと 
「まこと」の心は、人の精神の最も純粹なものである。人はまことに於て、その生命の本をもち、まことによつて萬物と一體となり、又よく萬物を生かし、萬物と和する。


まことについては、賀茂眞淵や富士谷ふじたに御杖みつゑ等がこれを重んじて説いてゐる。眞言まこと即ち眞事である。言と事とはまことに於て一致してゐるのであつて、即ち言はれたことは必ず實現せられねばならぬ。この言となり、事となる根柢にまことがある。


御杖は心の偏心ひとへこゝろ・一向心ひたぶるこゝろ・眞心まごゝろといふが如くに分けてゐる。偏心とは主我的な心であり、一向心とは頑なに行ふ心である。これらはいづれも完全な心とはいはれない。眞心とは心の欲するところに從つて矩を踰えざる心である。


かゝる心は即ちわざであり、言であり、行であり、よく一事・一物に執せずして融通無礙である。即ち私を離れた純粹の心、純粹の行である。實にまことは萬物を融合一體ならしめ、自由無礙ならしめる。


まことは藝術に現れては美となり、道徳にとしては善となり、知識に於ては眞となる。美と善と眞とを生み出す根源にまことのあることを知るべきである。而してまことは又所謂明き淨き直き心、即ち清明心であり、それは我が國民精神の根柢となつてゐる。


まことは理性と意志と感情との根源であるが故に、智仁勇も、このまことの現れであるといひ得る。我が國の道は、決して勇のみを以て足れりとしない。勇のみに趨るは所謂匹夫の勇であつて、勇と共に仁を必要とする。而して勇と仁とを實現するためには智がなくてはならない。即ち三者は歸して一のまこととなり、まことによつて三者は眞の働きをなすのである。


明治天皇は、陸海軍軍人に下し賜はりたる勅諭に、忠節・禮儀・武勇・信義・質素の五徳を御示し遊ばされ、これを貫くに一の誠心まごゝろを以てすべきことを諭し給うて、

右の五ヶ條は軍人たらんもの暫も忽にすへからすさて之を行はんには一の誠心こそ大切なれ抑此五ヶ條は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ條の精神なり心誠ならされは如何なる嘉言も善行も皆うはへの裝飾にて何の用にかは立つへき心たに誠あれは何事も成るものそかし

と仰せられてゐる。


更にまことある行動こそ眞の行爲である。眞言はよく眞行となる。行となり得る言こそ眞の言である。我が國の言靈ことだまの思想はこゝに根據を有するのであつて、行たり得ざる言は、愼んでこれを發しない。これ、人の心のまことである。


まことに滿ちた言葉は即ち言靈であり、かゝる言葉は大いなる働をもつのであつて、即ち限りなく強き力をもち、極みなく廣く通ずるのである。萬葉集に、日本の國は「言靈の幸さきはふ國」とあるのは、これである。而して又一方には「神ながら言舉ことあげせぬ國」といふ言葉がある。


これは、一見矛盾するが如く見えて、實は矛盾ではない。言に出せば必ず行ずべきものであり、從つて行ずることの出來ない言は、みだりに言はないのである。


かくて一旦言舉げする以上は、必ず行ふべきである。否、まことの言葉、言靈たる以上は、必然に行はるべきである。かく言葉が行となり得る根柢にはまことが存する。まことには、我があつてはならない。一切の私を捨てて言ひ、又行ふところにこそ、まことがあり、まことが輝く。 
 

 昭和十二年(1937年)五月二十九日印刷
 昭和十二年五月三十一日發行
 昭和十八年(1943年)五月三十一日十刷發行(一七三萬部)
 文 部 省 編 纂
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 販賣所 内閣印刷局發行課

 
































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